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    眠気のなかで

2022.03.02 それぞれの街のそれぞれの毛布たち


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 京都の桜に見とれていたら、時間が経ってしまった。だから、フランス語でいうところの大過去の時制を用いることになる。

 おおよそ1ヶ月半前、ホームカミングスを見ようと思った時、京都という街のことを考えていた。もちろん、ビートルズリバプール出身のバンドで、というくらいに、そのバンドが何処から始まるのかというのは、あまり意味がなく、その先の何処に行くのかが大切なことだということは理解している。だから、土地という枠を嵌めて、その音楽を聴くというわけではなく、また、そうすべきでもないだろう。ただ、時と場合によっては、胡椒やクミンシードといった調味料のように、土地は音楽に影響するし、音楽は土地に影響する。そのような意味で、ホームカミングスを京都で聴くというのは、少し特別なことだった。彼女らは、京都からやってきたバンドだった。

 その日のことを今思い出せば、少し疲れていて、だから、清水寺ヤノベケンジの展示を見るのを諦めて、そのまま出町柳から一乗寺まで行き、午後3時すぎに、ぼんやりとした頭で恵文社の本棚を眺めていた。すぐさま手に取るような本を見つけることもできず、それでも、何かを探さないわけにもいかないような、宙に浮いたような気分だった。結局、3冊ほど買って、書店を出た。薄く紅色に染められ、底冷えのする店先で、ぱらぱらと降り出した雨を見上げ、「ああ、この街では、こんな風に雨が降るのか」と思った。3月になったというのに、まだ寒い。コートの裾をからだに寄せながら、裏道に入った。

 公演がはじまる時間からは遠ざけられていて、だから、どうするつもりでもなく、時間を過ごせる場所がほしかった。そうして、一乗寺駅から少し歩いた場所の、叡山電鉄の傍らにある、はじめての喫茶店が見つけた。空いていれば、本をいくらでも読んでいいと掲示されていた。珈琲を頼み、買ったばかりの本を鞄から取り出し、紐解き、時折とおりすぎる電車の音を聞き、頁を捲った。やがて公演の時間が近づき、店を出て、出町柳にもどり、バスに乗り、四条河原町で降りた。ライブハウスはそういうところにあるのかと思うようなところにあった。夕闇が街を包み込もうとしていた。

 あの日の彼女らは、京都という街で演奏するということを意識していたのは確かで、しきりに照れたような様子を見せ、街のなかでバンドが生まれ、働きながら、音楽を作っていた頃のことを振り返り、そうして、今、京都から離れ、新しい街で過ごしていることを述べた。そして、街に包まれて過ごすこと、それぞれの街には、それぞれの毛布があることを語り、ブランケットタウンブルースの演奏が始まったのだった。

 今考えても、私はそうしたものを期待していただろうと思う。その街で生まれたバンドが街を去り、そうしてひと回りもふた回りも大きくなって戻ってくる。そうした時、どんなことを語って、どんな演奏をするのか。さらにまた、その街で1日を過ごした後に、そうしたバンドの音楽を聴いたら、どのように感じるのか。私が期待していたのは、そういうことだったように思う。

 春先なのにしんしんと冷えて、夕方には、薄紅色に照らされた空から天気雨が降って、雨と時間をやり過ごすためにうってつけの喫茶店で本を読み、バスに10分ほど乗って、ライブハウスに向かうという過ごし方は、恐らく、あの街であればこそ、というところがあって、そうした街に「HURT」や「I WANT YOU BACK」や、という曲の根っこのようなものがあるというのは、実にしっくり行くところだった。

 ただ、もちろん、そういうことばかりでなくて、このバンドには、端正なメロディやハーモニーと、シューゲイザーヨラテンゴを思い出させるような激しさや音の厚みや歪みがある。それは、何というか、決然としたもので、街や何かに寄りかかるというような甘えたところは一切ない。俺たちは俺たちでやっていく、というアティチュードが確かに感じられ、このバンドの音が街に全て回収されてしまうというわけではない。事実、バンドはこの街から巣立っていって、今はもう、たまにしか戻ってこない。

 そうしたことを考えるでもなく思って、外の街からやってきたインパーマネントな滞在者としても、どこかしら、この街の人に肩入れしてしまうというか、少し寂しいのではないかと余計なお世話なことを思ってしまうところもなくはなかった。

 いつしか、自分の娘が家を出て、楽しく過ごしていることを聞き、それ以上のことはないと思いながら、でも、「そうか…」と小津安二郎の映画的に呟いてしまう。自分のことに引き直して、勝手にそんな馬鹿げた想像をしたのだけれど、しかし、そんな想像は全くの見当はずれで、あの日、あの場にいた人たちは、彼女らの姿や言葉を受け、「よく戻ってきたね」という表情を浮かべながら、彼女たちを嬉しそうに向かい入れていた。だから、あの日の演奏の多幸感は、そうしたオーディエンスが生み出しているところも大きかったに違いない。

 いつものように直ちに時間が過ぎ、演奏が終わる。そうして、ライブハウスから出ようとすると、「いい意味で、まったく変わっておらんかったな」、「そうやな」と背後の人の言葉が聞こえた。そうしたものに包まれ、ホームカミングスの音楽はあるのだろうと、思った。