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2022.10.22 ビートルズ解散私説

 そもそも恋愛という感じではないし、今となっては尚更なのに、若い男の子に急に呼び出され、「どうしましょうか…」と言われても、何も言えることはなくて、ただ、別れるのであれば、それを背負うしかないと伝える。

 ずいぶんと酔って部屋に戻ってきて、ビートルズの「Carry that weight」をふと聞きたくなる。そうして、あの曲の連なりを聞いているうちに、そういえば、ずいぶんと長きにわたって『ホワイトアルバム』を聴いていないと思い出して、「Back in The U.S.S.R」からしばらく聴きはじめて、「ああ、そういうことであれば、ビートルズ、解散するわ」と、そういうことだったのかと一人の部屋で納得する。

 私が言うまでもない当たり前のことなのかもしれないが、あのアルバムの中で、ポール・マッカートニーは、パロディに傾斜しているところがある。あれほど才能がある人なのだから、世界中が音楽に溢れる中、自分なりの形でいろいろなものをやってみたいという誘惑は当然のことだろう。その結果、「Back in the U.S.S.R」や「Ob-La-Di, Ob-La-da」にしても、「Helter Skelter」や「Rocky Raccoon」にしても、本歌取りになる。言うまでもなく、自分の音楽を模索していく上で、こうした本歌取りが極めて真摯なところから必要とされていたのは事実だろう。

 とはいえ、本歌取り本歌取りだ。そして、マッカトニーの真摯さは、徹頭徹尾本気のジョン・レノンからすれば、生ぬるく感じられたのではないか。レノンが悪ふざけをしたことがなかったというつもりはない。ただ、そうするにしても、レノンは、青筋を立てながらの、抜き差しならない居場所において、悪ふざけを行っていたのであって、そこから生み出されたものは、身を交わしようもなく、ジョン・レノンだった。

 これに対して、マッカートニーは、うまく身を交わす。引き受けることができないものは捨て、上手に消化できるものだけをピックアップする。そうして、「はい、こんなん、できましたけど」とスマートに差し出す。そして、間をおかずして、「知らんけど」と付け足す。こうした肩の力の抜け方は、ジョン・レノンの悪ふざけと一線を画している。『ホワイトアルバム』を聴いていると、如実にそのことを感じる。「ああ、それはもう、確かに無理だったな…」と思う。

 そうした状況下において、ジョージ・ハリスンは何をしているかといえば、眉間に皺を寄せて、浮世離れしたことを考えているし、リンゴ・スターは、マッカートニーにディスられて、落ち込んでいる。「それはもう、確かにダメだ…」と思う。

 知らんけど。

 ところで、アークティックモンキーズの新しいアルバム、素晴らしいですね。大人に憧れていた懐かしき時代を思い出す。


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