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2022.11.5 そういうものか

 今更ですか、と言わないで欲しいが、カート・ヴォネガットジュニアの作品には「そういうものだ」という有名な台詞が多用される。この言葉のニュアンスは、作品全体に支えられ、その文脈ごとに様々な色彩を帯び、だから、「そういうものだ」はそういうものなのだ!と強弁するほかない。それを前提として付け加えれば、この言葉は、事実の酷薄さというか身も蓋もない場所で、わずかに残された抵抗の言葉として読めることが多いとも思う。

 今日、サッカーの配信を見ていた。

 私は、全く誇らしくはないのだけれど、川﨑出身で、しかも、等々力競技場の近くで育ったということもあり、川崎フロンターレというチームをこの20年くらい応援してきてしまった。

 こういうと、今となっては、我がチームがかなり強くなってしまったので、マウンティングというか、自分の先見の明を誇らしげに語る、みたいなニュアンスを帯びるところもあるかもしれない。それは否定しないが、それにしても、最初の5年くらいは、ひどい有様で、平日に試合を見に行くと、2万人の等々力競技場に1000人未満のことも多く、さらに、横浜FCとのアウェイの試合が日産スタジアムで開催された暁には、7万人のキャパシティがあるのに2000人しか入っておらず、ワンブロックに私と妻しかいないという試合も経験したことがある(とはいえ、その試合では、横浜FCの応援のためにジ・アルフィー(と言って分かってもらえるだろうか)がハーフタイムに演奏をしており、しかし、懐かしのエメルソンが大活躍して、川崎フロンターレが7ー0で勝ったという趣深い試合ではあった)。

 そう語りつつ、これは自虐的な自慢なのだと、そう解する余地は大いに認めるけれど、いずれにせよ、あの時期、スタジアムには、人がいなかったし、わけの分からない失点が多かったし(鬼木はバックパスばかりだったし、寺田は怪我ばかりだったし)、良くなってきたと思っても、ずっと2位とか準優勝だとかで優勝してくれないし、あの時代の愚痴を続けようと思えば、ずっと続く。今となっては、ニック・ホーンビィの『僕のプレミアライフ』的な「優勝」というオチがついたので、こう誇らしげにしているけれど、実際、黒歴史になりかねないというか、永劫回帰的に黒歴史が継続される可能性は十分にあった。人生には、どこに穴が空いているか分からない。

 この数年は、チームのスタイルが確立され強くなり、鼻歌気分で過ごしてきたけれど、今年はなかなかうまく行かず、結局、優勝は、横浜Fマリノスに決まってしまった。第三者的にいえば、今年のマリノスは強かったので、それが妥当なのだろう。

 それにしても、今日の試合は、本当に面白くて、先制した直後に、我がチームのキーパーが退場になり、後半すぐに追いつかれ、「これは無理ちゃうの」と思ったら、我チームに点が入り、しかし、すぐに同点にされ、「これは無理ちゃうの…ちゃうの…」と思ったところで、点が入り、なんとか勝った。すごい試合だった。そうなのだけれど、しかし、マリノスが優勝した。

 そうした時にふと出てきたのは、「そういうものだ」でなく、「そういうものか」という言葉で、こちらのほうは、少しだけポジティブなところを含んでいる。むろん、個人的には、という留保はつけるのだけれど、ここまでやってくれて優勝できなかったのだから、それはそうなのだ、という感じ。いや、でも、札幌戦がなあ…。