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    眠気のなかで

2006.11.10/2022.11.15 はじまりのつながりの行方


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 はい、続けて次回。

 昨日のことになるのだけれど、私としては、8年ほどの歳月をかけて辿り着いたところに、ひとまずのところ、辿り着いた。ワールドカップ2回分の歳月。長かった。

 そうして、夜、みんなでひと通り飲んだ後、梅田から歩いて帰ろうとしている途中、帰り道が同じ方向の若い友人といっしょに中之島の中央公会堂を歩いていた時、小学校で流れるようなチャイムが鳴って、「あーもう終わっちゃうねー」とお互いに頷きあい、最後に路上でお互いにそれぞれ煙草を吸って、「じゃあ、また」といって別れた。

 その時、ふと思い出したのがポラリスの「はじまりのつながり」という曲だった。恐らく、この曲が発表された時期は、ポラリスにとっては、とてもむずかしい時期だったはずで、というのは、2005年に坂田学が脱退し、2006年に出た新しいアルバム『空間』は、趣を変えて聴こえた。当時、「なんか違うよなー」と思ったのは否定しない。今聴くと、いいアルバムだとは思うけれど、ポラリスの大きな魅力であった陰りのようなものが少し足りないように感じた。とはいえ、このアルバムの「はじまりのつながり」は、その陰りを残しつつ、明るさもある、なにか新しいことのはじまりを告げるような曲だった。

 部屋にもどって、そうして思い出したことを確かめようと考え、深夜にスポティファイでポラリスを探してみると、驚くべきことに2006年11月10日のライブアルバムがあった。2007年に出ているとのことだったけれど、全然知らなかった。そう、私は、このライブに行っていて、それが行われたのが渋谷AXだった。

 当時、何をして良いのか、自分が何をしているのか、まったくよく分からなくなっていた時期だった。子がいないと、30代にはそういう時期が巡ってくる。そこで、子を持ってもいいし、持たなくてもいいとは思うけれど、いずれにせよ、あの頃、私はそういう時期に差し掛かっていた。あの時のポラリスと同じく、難しい時期だった。

 そうした宙ぶらりんを紛らわせるように、そして、渋谷AXがその頃住んでいた場所からとても行きやすかったこともあり、渋谷AXで何かがやっていれば、何となく行ってしまうということを繰り返していた。その一環として、というわけではないけれど、私は、ポラリスのこのライブに行った。そして、あの時、「はじまりのつながり」を聞いた。

 録音に残されていないけれど、このライブの最初の1曲目は演奏に失敗し、最初からもう一度やり直した。「今日、カメラが入っているのに!」とオオヤユウスケが言って、みんなが笑うということもあり、その日のライブのはじまりは賑やかだった。だから、逆に「はじまりのつながり」の、深い海の底で波に差し込んで揺れる光を眺めているかのような静かな演奏のことがかえって印象に残った。そして、なんとなく違うよな、と思っていたアルバムであったけれど、でも、まあ、これはこれでいいな、と思い直し、私は、冬のはじまりを感じさせる冷えて乾いて動かない空気を頬に感じながら、渋谷の街の坂を下ったのだった。

 あの時のあの演奏はもうそれで終わりだと思っていた。昨日、中央公会堂のチャイムを聴きながら思い出したときも、あの時のあの「はじまりのつながり」の演奏のことを考えてはいたのだけれど、あれはもう二度と戻ってこないものだよな、と思った。でも、そんなことはなかった。私は、あの時の演奏をふたたび聴くことができた。

 だから、というのは論理の飛躍以外の何ものでもないのだけれど、私と若い友人が「あーもう終わっちゃうねー」と頷きあったことがあるにしても、それはもうそれで終わりということではないのかも知れず、もう一度はじまって繋がるということもあるのだと、酔った頭で、そう思い直すことにした。