逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2023.1.23 新しい生活


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 数えたほうが良いのか、それとも、ぼんやりと幾つかの記憶をないまぜにしてしまったほうが良いのか、私にはもう分からなくなっているけれど、大阪で暮らしていた間は、君島大空が関西にやってくる度に、君島大空のライブに行っていて、だから、関西での生活の記憶は、私においては、君島大空の音楽と絡み合っている。

 11月20日に急遽横浜に戻らなければならなくなって、「ああ、これで最後かもな」と思いながら歩いた出町柳から一乗寺、そして、一乗寺から元田中までの道すがら、君島大空の音楽を聴いていたわけではないけれど、その日の夕暮れの美しさと、少し冷えた空気と、そして、最後に寄った「やまのは」という喫茶店の窓から見えた手前の都市計画道路(?)と遠景の山の稜線と、マンデリンのコーヒーを飲みながら読んだ、その日に恵文社で買った『イリノイ遠景近景』の、イリノイ州のとうもろこし畑の描写とは、分かちがたく結びついて、君島大空の「19℃」という曲に包み込まれているように感じる。それは、「やまのは」という喫茶店の暗がりと「19℃」という曲のPVが喫茶店を舞台にしているということからの不合理な連想なのかもしれない。それにしてもと考えてみると、西荻窪の喫茶店の映像が京都の学生街の喫茶店に連なっていくというのは、ごく自然なことであるようにも感じる。少なくても、私にとって、ということではあるが。

 12月の終わりに、私は大阪と京都を後にして、年が明けて、横浜で凍えているばかりだったのだけれど、大阪を去る前にそれなりの策は考えてあって、つまり、11月30日に梅田で見ることもできた君島大空のライブに行くことは控え、1月23日に横浜で見ることにしていたのだった。チケットを取った時には、ずいぶんと遠い先のことで、仕事との兼ね合いも気になったけれど、結局、あっという間にその日はやってきて、仕事は、やはり、どうとでもなった。

 ライブの数日前に流れてきたツイートによれば、数日前だというのに、チケットが完売していないという。少し驚いて、廻りを見回してみると、当然ながら、妻と娘がおり、娘は、12月から学校に行くのを止めてしまい(あのような担任教師が居座っていることからすれば、それは当然のことであり、むしろ、そのセンスを褒めたほうが良いのかもしれないが)、家にずっとおり、くさくさしているようでもあったので、家族皆で行くことにした。

 正直にいえば、私は、みなとみらいが全く好きになれず、水没してしまえばいいと思っており、あの近辺でぎりぎり許せるのは、野毛商店街とそこから野毛山動物園に登っていくあたりと日本大通りと中華街とニューグランドホテルくらいのものなのだが、その点を踏まえても、今回行ったKTZepp横浜はものすごく気に入ってしまった。自分の家から行きやすいし、ライブハウスの動線もよくて、喫煙所もあり、見やすい。もうZepp東京とかZepp羽田をなくして、KTZepp横浜だけでいいんじゃないかと思う。といっても、会場から出ると、京都や大阪と比べて、街の魅力のなさにがっかりしてしまい、KTZepp横浜以外はすべて水没すればいいと思うわけだが。

 話がずれた。

 君島大空の新しいアルバムは、もちろん、聴いていて、ものすごく面白いアルバムだと思った。おおまかに分類すれば、3部構成というか、レコードの表(「映帶する煙」〜「世界はここで回るよ」)と裏(「19℃」〜「光暈」)と、そして、表(「遺構」〜「No heavenly」)といった色調が目まぐるしく変わっていくアルバム。特に「エルド」から「光暈」からの繋がりが好きで、言葉に尽くせないので大雑把にいうが、とても素晴らしい。もっとも、ここで終われば、「ああ、はじまったところに一周して戻ったな」ということになるわけだけれど、さらに「遺構」と「No hevenly」を最後においたところが偉い。この2曲で、円環が解けて世界が開かれ、新しい場所にぐっと足を踏み出した感じがする。

 私が合奏形態というかバンドでの演奏を見るのが初めてだったからかもしれないが、ライブは、そうしたぐっと足を踏み出した流れの先にあって、独奏は、雨音の中の独り言といえば良いのだろうか、ごく私的な物語が1人称で語られているように感じていたけれど、合奏形態は、大きな物語を3人称で繰り広げていくという広がりと奥行きが感じられて、ものすごく気に入った。特に、「火傷に傷」から「遠視のコントラルト」までの流れは、すさまじく、「火傷に傷」の独奏から合奏へと移り変わる、あの瞬間は眩暈がした。

 そうして、いつものようにライブはすぐに終わって、いつもならば、1人ですっと帰っていくのだけれど、その日は、離れた席に座っていた妻と娘を探して帰ることにした。娘に感想を聞くと、「楽しかった」と一言だけの、つれない言葉が返ってくるだけだったけれど、それにしても、娘に感想を聞くというのは、新しい生活だな、と思う。横浜で凍えているだけというわけにもいかないのかもしれない。