逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.1月上旬 坂のない土地

 大阪で生活をはじめる時、ぼんやりと考えていたのは、スティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」の曲のことだった。自分もそこはかとない違和感のようなものを感じ、あの曲があたまをよぎることがあるのではなかろうかと想像していた。

 けれど、今のところ、そういったことはない。もちろん、そこまで関西の人たちばかりに囲まれている環境でもなく、或いは、単に私自身が鈍いというところもあるのかもしれない。

 むしろ、既視感というか、関東での生活とだぶるような瞬間のほうが多い。例えば、大阪メトロは、東京メトロと雰囲気が似ていて、谷町線に乗っている時に、ふと自分は日比谷線に乗っているかのような感覚に襲われ、このまま乗っていけば、東横線に乗り換えられるのではないかと瞬時考え、それを打ち消す。そうでなければ、市街化された土地にお寺がふと現れる感じは、本当に東京の下町とよく似ていて、そういえば、上野から根津に抜ける道はこんな感じだったよな、と思い出す。

 もちろん、違いを感じることもある。例えば、スーパーの野菜。関東では、この時期、かぶが出回って安いけれど、私の生活圏では、京都の野菜としてのかぶに高い値がつけられているのは見かけるが、関東の、あのかぶがない。調べてみれば、日本のかぶの3割は千葉のもの、それに引き続いて、埼玉もものが1割弱。天王寺かぶは、どこへ消えてしまったのかと思うところもなくはないが、いずれにせよ、千葉や埼玉のかぶを関西にまで持ってくるほどのこともないというのはよく理解できる。逆に、関東では、冬のこの時期、トマトは高い。これに対し、トマトは、手頃な値段で手に入る。産地をみると、熊本。関東に運ぶまでもなく、関西で十分ということなのかもしれない。

 もうひとついうと、横浜との対比で特にそう感じるのだが、大阪には、道がまっすぐで、坂がほとんど見あたらない。この平たさとまっすぐの感覚は、正直苦手といえば、苦手だ。路地が入り組んで上下していないと、なんとなく落ち着かない。視界が抜けすぎる。今日、空堀商店街を通りかかったが、ここは、珍しくアーケードの商店街が坂になっていて、「おお、久しぶりに坂!」と嬉しかった。話がずれるが、那覇を訪れた時、なんとなく肌に馴染む感じがしたが、あそこは路地が入り組んでおり、また、首里のほうに向かえば、土地が上下している。そういうところで、今考えると、自分の中にすっと入っていったのかもしれない。

 取り留めのない話になってしまった。

 最後に、今、「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」のことをウィキペディアで調べていたら、あの曲は、イギリスで同性愛が法的に禁じられた時代において、ニューヨークに移り住んだ人のことを歌ったもので、単に自分が生まれ育った土地を離れること以上の強い感情が込められていたようだ。もうひとつ付け足すと、あのミュージックビデオは、デヴィッド・フィンチャーだったということも知った。へえー。