逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2023.02.22 人の営みボット

 どういったわけで、そういったことになったのかを最初から辿ってみると、学校に行かなくなった娘のことがあり、ホールデンのことがあり、そういえば、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』のユキもいたということがあり、そうして、娘にあれを読ませてはどうかと考え、しかし、羊三部作があっての『ダンス・ダンス・ダンス』なので、少なくても『羊をめぐる冒険』を読まないわけにもいかないだろうということがあり、しかし、その行程を娘に歩ませるとなると気が遠くなるところもあるので、さしあたって『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』がいいだろうということになり、このところ、毎日、娘に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読ませている。

 「ええ、分かっています。そういう風に読むものではないということは分かっています。」と急いで言い添えた上で、しかし、それで娘が気に食わなければ、あれはその程度の小説であり、それをあれほど胸を高鳴らせて読んだ私はその程度の読者だったのだと開き直りたい。あれは、どのような契機でどのように読んだとしても、いい小説なのだ。

 ところで、こういう風に考えるのは、私だけではないはずだと思うのだが、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』では、片腕がない詩人のことが気になるのではないだろうか。

 ベトナム戦争に行って、片腕を失い、カメラマンの恋人を作り、片腕で優れたサンドウィッチを作り、そして、トラックに踏み潰されて死んだ、あの片腕のない詩人だ(しばらく読んでいないし、今、紐解くまでのこともないと考えているし、誤読していたならば、それはそれで面白いので、事実誤認が含まれている可能性はあると、すぐに留保を付けたいのだが)。

 死んで時間が経っていないのに、死者がきれいに片付け、秩序立てられていた台所が生者によって少しずつ乱されていく場面について、読んだ当時、ということは、発売されてすぐの高校生だった頃になるのだが、私は、「ああ、生というのは儚いものなのだなあ」と、うすらぼんやり考えており、さらにいえば、語り手やユキが少し馬鹿にしていたことに引っ張られて、あの詩人を軽く見ていた。今で言うところのモブキャラ扱いをしていたといえば良いだろうか。印象深いが軽い脇役。あらかじめ死することが定められており、しかも、それが隠喩としてしか機能しない登場人物。ひどい。

 しかし、歳をとるにつれて、というか、このところ、ペイブメントのライブにも、レッチリのライブにもいかず、家にしか目を向けていないので、そういうことになるのだろうが、毎日、台所の作業台の上に置きっぱなしにされた牛乳パックを冷蔵庫にしまい、どこからか湧いて出てくるような輪ゴムをしまい、底にコーヒーが少しだけ残ったイッタラのマグカップをシンクの中におき、コーヒーの滓を拭き取り、といった生活を続けていると、あの詩人のことを思い出してしまう。実際に生きており、一時期一緒に過ごしたことがある人物のように感じる。しかも、親しい人物として。

 おそらく、あの詩人も自分が軽んじられ、脇においやられ、しかも、恋人からもその娘からも才能がないが、生活するには、ちょうど良いところに収まるマグカップとして扱われていることに気づいていたはずだ。しかし、それでもなお、彼は、毎日、台所の秩序を守り、味のよいハムと新鮮な野菜を見分け、優れたサンドウィッチを作り、詩をつくり、音もなく過ごしていたのだろう。しかも、戦争で大怪我をして片腕のみになっていたというのに。

 さらにいえば、私の記憶では、彼は、それまで他の女の人と静かで充足した生活を送っていたのに、それを捨てて、アメと一緒になっていたはずで、そうなると、その女の人を捨てたことに対する何らかの感情も濡れたタオルのように抱えていたとも考えられ(テキストにあたっていないので、単に私の妄想かもしれない)、それにもかかわらず、そういったモブキャラ的な生活を送っていたわけで、実のところ、モブキャラどころの騒ぎではない奥行きと陰影をもった人物であり、ああ、もう少し話をしてくれればよかったのに、と思う。

 話がずれてばかりで申し訳ないが、そんな人物に比べれば、私などはもう、冬の間に凍え死んで、駐車場の端に干からびて平たい死骸になった鼠のようなものなので、図々しいのかもしれないが、しかし、今、台所の作業台を片付けながら、どこかしらで、あの詩人のことを思い出し、自分を重ね合わせているところがある。もちろん、妻も娘も私を軽んじ、才能がないと陰で言っているわけではない(と思う)し、戦争で片腕を失っているわけでもなく、サンドウィッチも上手に作れないのだけれど、それにしても、私は、ふきんを金物の洗濯ばさみに挟み、干しながら、あの詩人のことを思う。もしかしたら、台所を片付けるという作業には、そのような内省を迫る何かしらがあり、人生においては、そういった作業が必要になる時期があるのかも知れず、その効果として、あの詩人が浮上してきただけなのかもしれないが、事実として、あの詩人をかつて一緒に過ごした友人のように思い出す。

 …読み返してみて、あまりに暗い。

 反省して、少しは役に立つことを書くと、暗殺者のパスタというのがありますね。最近、これにはまってしまい、よく作っている。

 作り方は簡単で、カゴメの「アンナマンマ・トマト&ガーリック」とデルモンテの「基本の完熟トマトソース」を鍋に入れ、カゴメの瓶のぶんだけ水を足します。そして、そこにコンソメを1つ入れて、しばらく煮立たせます。その間、乾燥パスタを1人あたり150グラム取り出して、バキッと半分に折って、オリーブオイルを多めに入れた熱したフライパンに投げ込み、しばらく焼いたら、煮立っているトマトソースを少しずつ入れていき、トマトソースの鍋が空になるあたりがちょうどいい感じ。トマトソースをおたまで混ぜている間は、『グットフェローズ』のことを考えると、とてもいい感じ。FBIが呼び鈴を鳴らさないのを祈るばかり。