逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2023.02.18 ライ麦畑で右往左往

 こう書くと、冒瀆以外のなにものでもないような気もするし、自分でもどうかとは思うが、娘が学校に行かなくなって1か月を過ぎたところで、「ホールデンの親も大変だっただろうな…」とふと考えてしまうことがあって、だから、親目線で『ライ麦畑で捕まえて』を読みはじめてしまう。

 いや、もちろん、娘はホールデンにまでは至っていなくて、いきなり寒空の下に出かけていって連絡が取れなくなるということもないわけではあるけれど、それにしても、ベクトルはそういう方向で、娘が家にいるのが好きでなければ、寒空の下、どこかに行ってしまっていただろう。

 私も家にいるのが好きなほうなので、家にいるわけだが、娘はそれが気に食わない。私に対して、「出てってくれ」という空気を漂わせ、何もいわずに自分の部屋で阿呆な音楽やYou Tubeを流しながら、絵を描いている。「出てってくれ」というのも分からなくはないが、それにしても、ここは俺の家のはずだが…とじっと手を見る。

 話がずれたが、親目線でホールデンを見てしまうとなると、「で、お前は、どうしたいんや…」と途方に暮れてしまう。「なんで、お前は、求められてもいないのに、歴史の先生のところまでわざわざ出かけていって、悪態ついているんや…」と、はじまりのはじまりのところで当惑する。

 とはいえ、本当に困ってしまうのは、逆に、そういう当惑の軸からぐっと180度回転した場所からの風景も見えてしまうことで、ホールデンからすれば、そうしないわけにはいかない。その切実さは、よく分かる。

 語られてはいないものの、ホールデンと歴史の先生の間には、どこかしらで相通じるものがあるかもしれないと期待させる何かしらのエピソードがあったはずで、そのときに自分に生まれた感情を裏切らないため、学校を去るにあたって、ホールデンはわざわざ挨拶に行ったのだろう。しかし、歴史の先生は、通り一遍の対応しかない。ああ、この人もそうだったのかと、がっかりするのもよく分かる。「分かるよ、ホールデン」と親ではない私は声をかけたくなる。

 他方で、そうは言っても、歴史の先生は、もう定年で辞めようと考えているほどの老齢で、その上、凍えそうな曇天の下、体調が優れなくて伏せていたところ、突然、ホールデンという、何を考えているのかよく分からないような子がやってきたわけで、少しでも血圧を上げて、なんとかしようと思うけれど、指先は冷えて、血が巡らない。頭に至っては、歯車の錆びた時計のように、ほとんど動かない。

 それでも、そんな子だから、やっぱり心配で、寝間着のままでも会ってやらないといけない。無理に血圧を上げて、退学になるその子に対し、何か、何であれ、ためになることを言ってやらないとならない。でも、頭はさっぱり動かない。立ち上がるのも億劫だ。むしろ、布団に戻りたい。でも、この子を追い返すわけにもいかない。

 となれば、自分の狭い世界の中で紡ぎ出された型通りのことを言ってやるのがぎりぎりのところで、ホールデンが気に入るような言葉を探り当てるのは、いや、全くのところ、絶対に無理。「どないしろ、ちゅうねん!」と悪態をつきたいのは、歴史の先生だったはずだ。とはいえ、先生はそれをぐっと我慢して、しかも、少しまずったと気づいて、自分の指先に血液が還流するまでの時間を稼ごうとして、ホールデンホットチョコレートを勧める。しかし、ホールデンに断られてしまう。分かる。分かるよ、スペンサー先生。

 親としての私は、汚れちまった悲しみに暮れながら、そんなことを思う。

 とどのつまり、もう、あっちに行ったり、こっちに戻ったり、とライ麦畑で生き惑うことしかできないということに落ち着き、しかし、落ち着かないので、今もまた、娘の部屋に行って様子を見て、声をかけたら、「黙れっぴ、黙れ、カスッぴ」と『タコピーの原罪』の口調を真似た娘にディスられて、こちらの部屋に戻ってきた。

 ところで、Yard Actは最高ですね。

 


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