逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.3.18 スタローンのアメリカ

 シュワルツネッガーがロシアに呼びかけたというニュースを見て、「そういえば、シュワルツネッガーがロシア人を演じた、あの映画は何だっただろう」と考えた。その時思い出したのは『ロッキー4』のことであったのだけれど、調べてみると、全くの見当外れだった。『レッドブル』が正しい。

 では、あの『ロッキー4』のロシア人は誰だったのか。調べてみると、ドルフ・ラングレンだった。しかも、哀しいことに、ウィキペディアの『ロッキー4』の項目を流し読みする中で「ドルフ・ラングレン」を頭の中で「トッド・ラングレン」と瞬時に切り替えて読んでいて、「……なんか違う。すごく違う。」と当惑したのだが、私の読み違いであった。記憶違い、読み違い、老化。

 まあ、いい。

 小学生の頃、誰もが誰も『ロッキー』に夢中であったのは歴史的事実であることは確かで、吉田栄作(という俳優がいた)ですら、村上龍に「好きな映画は?」と問われて『ロッキー』と即答していた。三連休の直前にこんなことを全世界に向けて語ってよいのかいう戸惑いもあるが、小学生の私もまた大好きで、一時期、「ロッキーのテーマ」を流しながら、朝の支度をするという生活を送っていた時期がある。

 今考えると、ロッキーの渾名である「イタリアの種馬」という言葉には、強烈なものがあって、いくらなんでも失礼だろうと思うが、当時は、そうした言葉もすんなりと流れていた。あの呼称の意味を考えてみると、あの映画の前提として、アメリカのイタリア移民がおかれた環境の過酷さを思っても許されるはずで、そのことは、『ゴッドファーザー』を補助線に引けば、より明確になる。

 イタリア移民が黒人のボクサーを倒すことによって、アメリカから称賛を得るという構図は、非常に陰惨であったことにも気づくわけだが、そのことは措いて、80年代から90年代のスタローンを追うと、「イタリアの種馬」的な烙印を押されることによって、より苛烈にアメリカに同一化しようと試みていた姿が見えてくる。

 例えば、『ランボー1』を見れば、傷ついたアメリカの姿に同一化しようとしていたのだろうし、翻って『ランボー2』と『ランボー3』では、レーガンアメリカをそのまま演じていると見えなくもない。

 特に『ランボー2』は、支離滅裂なものではあるけれど、それにしても、ベトナム戦争で我に返ったはずのアメリカが逆ギレしたというか、敗戦の歴史を意識的に見事に忘却し、新たな自画像というか、戦争に負けないアメリカを改めて描いて見せたといったところだったのではないか。1985年、あの時期にはもう、そのようなことになっていたのか、と振り返る。ここで、ふと思いついて調べてみると、ティム・オブライエンの『ニュークリアエイジ』が書かれたのも1985年のことで、少なくても彼だけは、濡れたシャツのような歴史を抱え、必死に体温であたためようとしていた。

 話をスタローンに戻すと、今調べて驚愕したが、『ロッキー4』も1985年の全米での公開だったようだ。アメリカとソビエト連邦が散々殴り合った挙げ句、アメリカが勝つ映画だ。あれは、ソビエト連邦の終焉だけでなく、ベトナム戦争の敗者としての歴史を完全に拭い去り、アメリカの勝者としての自己のイメージの完全回復が近づいていたことも予告していたのかもしれない。

 今ならば、スタローンは、何を言うのだろうか。シュワルツネッガーのことを考えて、そんなことを思う。