逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.02.19 ほんの少し、わずか手前

 大阪天満宮の東側に食べ物屋が集まっている区画があって、どういうわけなのか、斜め向かいに麻婆豆腐の有名店が向かい合っている通りがある。

 両方とも食べてみたが、甲乙つけがたい。一方は、辛味の中にも甘みや酸味を感じさせる滋味溢れる優しさがある。音楽に喩えるならば、ポーグスということになる。他方は、花椒や唐辛子で一気に攻め入ってくる辛さの裏に、にんにくやネギといった野菜の甘みを感じさせる。音楽でいえば、ピクシーズ

 いや、よく分からなくなってしまったが、いずれにせよ、両方とも美味しい。ただ、私としては、休日の午後に食べに行くことが多いので、なんとなく、ポーグスのほうを選んでしまうことが多い。付け加えると、麻婆豆腐の名店と呼ばれている店がこの近辺には幾つもあり、食べ比べてみようと思わなくもないが、面倒なので、ポーグスとピクシーズの2つを行き来している。

 本題に入ると、麻婆豆腐の名店が向かい合っている通りに、これはもう、親戚系と思しきフランス料理店があって、私は警戒していた。店の前には、とてつもない数の植木が並べられており、その合間にフランス国旗が掲げられている。店のなかを覗き込むこともできない。グーグルマップで調べると、きわめて良い評判。フランス料理店と銘打ちながら、常連が頼めば、うどんが出てくるはずだと私は考えていた。だから、この通りに来たときには、この店は避け、麻婆豆腐ばかりを食べていた。

 今日の大阪は冷たい雨が降っていた。私は、自分が吸っているのとは異なる銘柄のタバコを買ってしまうほどに疲れていた。昼食を取ろうと思ったが、近所のめぼしい店を思いつかなかった。遠くまで行きたくなかったけれど、たこ焼きもカレーも食べたくなかった。麻婆豆腐は先週食べていた。いろいろと気を使うことが多すぎて、もう、どうにでもなって欲しいという気持ちもあった。だから、あの、うどんが出てきそうなフランス料理店を選んだ。自傷行為のようなものだ。

 ドアを開くと、今回は、コック帽をかぶったおじいさんが出てきて、「いらっしゃい。何処にでもどうぞ。」と声をかけられた。店内は、恐れていたほど雑然としておらず、一時代前のフランス料理店を思い出させた。もっとも、ドアの一番手前の席に座るや否や、「何にします」と問われる。これはもう、親戚系に他ならないと私は考える。親戚の家なので、メニューを選ぶ暇などはない。「うどん」と言いそうになったが、大伯父に叱られるのが嫌なので、メニューを記した黒板に魚料理と肉料理が掲げられていることを瞬時に察知し、「あ、あー、魚、をお願いします」と伝えた。

 店の奥には、やはり常連が腰掛けており、コック帽のおじいさんと漫才のようなやりとりをしている。親戚系の店の会話を聞いていると、基本的には、お店の人がボケ役を務め、お客がツッコミを入れるというコミュニケーションで成り立っていることが多い。今日もまた、お客が「ぼくのスープ、大根、ほとんど入っていないんやないかい!」とツッコミを入れ、コック帽のおじいさんが「え、ほんま?だったら、隣の人に分けてもらっといて」とボケる。いや、まあ、いいだろう。ここは、親戚の家なのだ。私は思う。

 サラダとスープは普通だった。驚いたのは、メインディッシュのたらのキャベツ包みだった。たらの白身を包んだキャベツの上にエビと菜の花が乗っており、ソースで見事に飾り立てられている。キャベツは歯ごたえを残し、たらの白身は臭みを感じさせずに、なお風味は残している。冬の中に芽生える春のことを思う。その下に隠してあった大根のコンソメ煮もまた見事な出来。軽やかなコンソメが大根のどっしりとした味を包み込む。付け合せの茹でたじゃがいもは、ねっとりとして濃厚な味わい。さらに、にんじんのグラッセはほどよく甘い。なに、これ…すごく美味しい…。

 難しいものだと思う。

 親戚の家と見せかけて、こういう店もある。どこに線が引かれているのだろうと思うが、おそらく、濃淡というかグラデーションというか、行き過ぎてしまうか、その手前で留まるかといった、ほんの少し、わずかな差なのだろう。今日の店は、ほんの少し、わずか手前で留まり、そして、知る人ぞ知る名店というべき存在になっていた。踏み越えれば、親戚の家。どうにも困る。