逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.2.28-3.4 いつしか雨、そして、晴れ

 


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 思い返すと、冬の間は、驚くほどに晴れが続いて、空気は乾燥して、かなり辛かった。そういえば、『細雪』の何処かで、関東の冬は乾燥して埃っぽくてかなわん、みたいな台詞があって、関東にいる時は、そうかもしれない、と思っていたけれど、大阪の冬はそれどころではない晴れ続きの乾燥日和で「なにが、かなわん、じゃ!」とひとりで憤っていたけれど、東京の日本橋出身の谷崎潤一郎なので、ああいうのは、逆に、谷崎潤一郎なりの嫌味だったのかもしれない。

 そう思っていたところで、このところの大阪の天気は、関東から来た者からすると、ひどく奇妙で、晴れていたと思ったら、不意に雨が降り出し、そう長く続かない間に止んで、また薄っすらと晴れ始め、ふと気づくと、すっかり晴れ上がった夜空に伊丹空港に向かう飛行機の光が浮かぶ。もちろん、関東にしても、春がくる時期になると、雨が降った日の後には晴れになり、ということを繰り返すわけだけれど、大阪では、そうしたことが1日で起こる。忙しない。大阪だな、と勝手に思う。

 忙しなさといえば、平日は、大阪の中心部の北浜や淀屋橋といったところをうろうろとする生活を送っているが、この近辺は、土佐堀川が流れ、凄まじい数の高層建築が詰め込まれている狭間に、いかにも昭和的なビルが多く残っている。そうすると、すぐに高速道路の高架橋が無理に挟み込まれ、さらに高層建築が詰め込まれ、そうこうしているうちに直線の都市計画道路が無慈悲に街区を区切る。なんともいえない忙しなさ。そして、そこからちょっと歩くと、北新地になる。頭の切り替えが効かず、私自身は、ちょっと疲れる。

 逆に、なんばまで行って、南海電鉄に乗ると、すこし気を抜くことができて、天下茶屋の手前になると、ようやく郊外の街が広がりはじめて、堺市に入ると、それはもう、しっかりと郊外になる。川崎出身の横浜から来たものからすると、この郊外の街並みは、本当に和む。もっとも、いつまでも和んでいるわけにもいかず、そのまま乗っていくと、和歌山まで行ってしまうので、堺東で降りて用事を済ますことになる。

 そういえば、高野山に行った時に感じたのは、和歌山は伊豆半島に似ているということで、冬の日の光は、南国を思わせて優しい。横浜の郊外のような街並みからしばらくすると、伊豆半島のような南国という、この連結は、大阪の北浜と京都と河原町の連結に似て、変な感じもしなくもないのだけれど、肌になじむという意味で、私は、南海電鉄が好きになりつつある。

 今日もまた、南海電鉄に乗って用事を済ますことになったけれど、一緒にいた大阪の人に倣って、モダン焼きセットという昼食をとった。モダン焼きというのは、焼きそばが入ったお好み焼きのことであるけれど、セットになると、一緒に御飯と味噌汁が出てくる。どういう風に食べてよいのか分からなかったので、大阪の人の食べ方を見ていたら、モダン焼きをおかずにご飯を食べていた。そういうものだろうとは思うが、しかし、米国において、ピザのケッチャップを野菜として扱うのに似た違和感がある。

 晴れと雨を繰り返す、この時期の天候のように、少しずつ肌になじむところと、いや、ちょっと待って!と言いたいところとが繰り返される。知らない土地に住んでいるのだな、と思う。