逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2021.11月下旬 とどまる時間に漂うとき

 感染症の蔓延のために閉ざされていた街が少しずつ開きはじめ、街なかに人が戻りつつあった。大阪に行く前に一度は行かないとならないと思っていた店があって、だから、新しい生活の隙をすり抜けるようにして、11月下旬の平日に訪れた。

 その店はいつも夕暮れ時のゆっくりとした時間のままに止まっているように感じられ、時間の流れを感じさせるのは、イタリアのクラッシック専門局のラジオ番組くらいのものだから、ずいぶんと久しぶりに行ったけれども、まるで前日にも来たかのように何も変わっていない。私はそのことに居心地の良さを感じる。

 店をやっている大学時代の友人が「やあ、久しぶり」と言った。私はもごもごと挨拶もそこそこに座り、大阪にいくことになった話をした。その後しばらくして、もうひとりの大学の友人がやってきた。私の新しい生活の話はある程度のところに収まり、それぞれの家族のことを話し、あとは、まとまりのない他愛のない会話が続いた。大学時代からあれほどの時間が経っているというのに、我々の時間は呆れるほど変わっていない。

 時間は止まっていたはずなのに、翌日の用事を控えている私が帰らなければならない時間がやってきた。「じゃあ、気をつけて」と友人はいい、私は頷いた。

 私が大阪に行き、大阪で過ごしている間も、あの店は、ラジオから流れるクラッシック音楽以外には、そのままに続いていき、そして、私がようやく大阪から戻って扉を開くと、カウンターの奥でグラスを磨いていた友人は、あたかも前の日に来たかのように、振り向いて「やあ、久しぶり」と声をかけてくれるのだろう。

 行ってきます。