逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.6.10 叔父から甥に薦める

 一時滞在であるのだから、どの程度の距離感で人と付き合っていくのかというのは、難しいし、さらにいえば、親子ほどの、少なくても、叔父と甥ほどの年齢差がある人たちと付き合っていることが多いので、そんな若い人に飲みに行こうと誘われれば、少し戸惑うところはある。それでも、できるだけ行く。筆箱に入った消しゴムほどの億劫さはあるけれど、若い人が誘ってくれることなんて、限られている。

 飲んでいて何を話すかといわれれば、口を開ければ、昔のことを話しかねない恐ろしさもあり、基本的には、若い人がいうことを聞いていたり、相槌を打ったりすることが多い。若い人は、大阪の悪ガキといえば良いのだろうか、ともかく大阪弁で、距離感が近く、人の言葉にツッコミを入れずにはいられず、ボケた時に、こちらがぼんやりとハイボールを啜っていると、自分で自分にツッコミをいれるほどの忙しなさ。ああ、大阪というのは、こういうことなのか、と変に感心する。

 その日の夕方、何となく独りで立ち飲みに行こうかと思って、堂島川沿いで煙草を吸っていたら、若い人が現れて、ふと思いついて、「飲みに行きますか?」と尋ねてみれば、じゃあ、行きましょうということになり、立ち飲み屋を2軒回って、高齢の私がそろそろ帰ろうかと思ったところで、スナックでカラオケを唄いたいと言い出し、気づくと、北新地から少し外れたよく分からないスナックで、薄い水割りを飲みながら、おつまみのスイカを食べていた。2時間飲み放題で4千円という、まあ、安いんだろうな、というお店。若い人がいろいろと唄っているのを聞きながら、スナックの、自分の母親くらいの女性から神戸大震災の話を聞いているうちに時間が過ぎて、ようやく解散ということになる。

 考えてみれば、その週は、彼らと共に、月曜日に大阪第3ビルの地下にあるサイゼリアでワインのボトルを空け、翌日には、福島のおでん屋でだらだらと飲み、そうして、疲れを感じながら週日を過ごした後に、最後にスナックで飲んだという、彼らと変に距離が縮まった1週間で、私としては、嬉しいけれど、彼らはどう考えているのだろうと不思議に思ったりする。

 それにしても、ああいう大阪の悪ガキといった風であるのに、そのうちの1人が「今、ソローキンの氷三部作を読んでるですけどね、なんのこっちゃ、という感じですわ」とふと言い出すので、油断ならない。ソローキンは『青い脂』を途中でほったらかしにしているくせに、その上、全く関係のない話になってしまうことを意識しつつ、「ああ、そういうのが好きならば…」と、どうにも分からない情熱に駆られ、私は、トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』を薦める。「ああ、歳を取るのは嫌だな…」と後から反省する。