逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2021.12.5. 泉岳寺まで

 私が大阪にいくと聞いて、なにをどう思ったのか、父が泉岳寺にいくと言い出した。

 私と妻と娘を連れて泉岳寺に行き、ホテルで夕食をとろうという。どう考えてよいのか分からなかったが、父はもう高齢で、私の家族を誘うということは珍しいし、私としても、父を残して大阪にいくことに後ろめたさがあったことから、気が進まないにせよ、大阪に旅立つ前の最後の週末、そんな思いつきに渋々付き合うことにした。

 実家がある待ち合わせの駅で待っていると、父がやってきて、「どうやって行こうか」という。自分で誘っておいて、どうやって行くも何もないはずなのだが、白金高輪駅から歩いていくのがいいだろうと考えて、そう伝えると、「よく知っているな」と驚いたようにいう。父は忘れているようだが、私は、白金台にある高校に通っており、泉岳寺の前は、サッカー部のジョギングで何度か通りかかっている。それなりに地形は分かる。

 こうして、白金高輪駅で降りるとすぐに旧細川邸のシイノキがあって、父はこれを見つけ、娘に「これが旧細川邸のシイノキ。切腹する前、大石内蔵助は細川家に引き取られたんだよ。知ってる?」と説明をはじめる。私にそうするのと同じように、娘は聞いているのか、いないのかよく分からないような表情を浮かべているが、父はそのまま話を続け、やめようとしない。いい加減なところで、「早く行かないと、泉岳寺、閉まっちゃうんじゃない」というと、「そういえば、高松宮邸はどこだっけ」と言いながら、父がようやく歩き始める。もう歩きはじめていた私は「これでしょ」と長く高い壁を指差す。「ああ、そうか」と父はいう。

 細い道を抜けると唐突に泉岳寺が現れ、我々は赤穂浪士の墓にお参りをする。いや、「お参り」という言葉が正しいかは分からない。ジョギングで前を通りかかったことがあるとはいえ、泉岳寺の中に入り、線香を手向けるということは初めてで、そもそも火遊びが好きな娘は、線香に火をつけ煙にまみれながら、墓前のひとつひとつに線香をおくことを楽しんでいるようで、その傍らで、父は墓碑銘を確認しながら、「ああ、これがそうか」と納得したようなことを呟く。

 忠臣蔵にあまり興味のない私は、パワーハラスメントを受けて斬りかかった浅野内匠頭、そして、最後には、パワハラ上司の首をとったその部下たちがここまで称賛されるという、社会のあり方について考えてみるが、うまく結論を出せない。パワハラ訴訟ということであれば、ICレコーダーとスマートフォンの動画を駆使して証拠を残せば、もしかしたら、訴訟で、吉良上野介を追い詰めることができたかもしれない。その場合には、国家賠償請求になるのだろうか。

 やがて時間がやってきて、立ち去ろうとすると、父が「で、大石内蔵助の墓はどこなんだろう」といい、妻は苦笑しながら「あそこの屋根がついているものがそうなんではないでしょうか」という。私でさえ気づいていたのに、何を見ていたのかと不思議に思う。父は「ああ、そうか」と当たり前のようにいう。

 泉岳寺をでて角を曲がり、三田の方向にむかう坂を少し登ったところで、父が不意にマンションの前に立ち止まり、「ああ、こうなったのか」という。「なにが?」と尋ねると、「ここにホテルがあったんだよ」と言い出す。妹が高校に合格した時に、父と死んだ母と妹とで食事をしたホテルがあったという。見てみると、そのマンションさえもそれなりの築年数を経たものである。ホテルがあったとしても、それはずいぶんと前になくなってしまったはずである。父は「そうか」と納得したようにいった。都市は記憶だけを残して変わっていく。誰にとっても、そういうものなのだと思う。

 しばらくして、「もう行こう」と父に声をかける。父は「困ったな。今日、ここで食事しようと思っていたんだけどな。」と言い出す。困ったのは私のほうだったが、そのことをいうのは止めにした。