逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.1.30 ソファにおくのを待つ

 

 娘がだんだんと大きくなってくると、自分が本を選ぶ時に、どこかしらで娘が読むのではないかと意識していることがある。

 もちろん、とても良いと思って勧めたこともある、というか、あった。しかし、結局、親が勧めたものというのは、親が勧めたというだけの理由で、不適法却下ということになるという経験則どおりに、拒否される。そういえば、石牟礼道子の『椿の海の記』の文章の美しさのことを思って、娘に猛烈にプッシュしたことがあったけれど、ある日気づいたら、娘の勉強机の上でうっすらと埃をかぶっていた。

 逆に、「娘が好きそうだな…」と思ったものの、特に何も言わずにただ置いておいた作品が娘の何処かに触れ、いつしか、娘の本棚に並んでいるということもある。八木ナガハルの一連のSF漫画や石黒正教の『それでも町は廻っている』がそうで、棚にずらっと並んでいるのを見て、小姑のように「これ、お父さんの本でしょ」と娘に指摘しつつ、内心は嬉しい。

 そうでなければ、まったく娘のことなどを考えない、というか、私としては、むしろ不適当だと思っていたものが娘のよく分からない何かにどのようにしてか届いてしまい、娘が繰り返し読んでいるのを見て、当惑させられることもある。何かといえば、『ゴルゴ13』のことだ。家族で石垣島に行った時、羽田空港の本屋でこのご時世のこの国際情勢の中で何を取り扱っているのかを知りたかったという、それだけの理由で『ゴルゴ13』の最新刊を買ったら、それ以来、娘はこの最新巻を何度も読んでいる。どうしたものか、と思うが、どうしようもない。

 いずれにせよ、今となっては、何にしても大切なのは勧めないことだと考えて、「これは!」という作品であっても、全く勧めない。我慢する。その代わりに、ソファの上だとかに、だらしなくおいておく。興味があれば読むだろうし、どこかに引っかかれば、娘の本棚に並ぶことになるだろう。もっとも、今のように、家族と離れて過ごしていると、そういうわけにもいかない。どうしたものかと思うが、しばらく溜めておいて、横浜に戻ったときにソファにおくということになるのだろう。

 今、ソファに転がして娘が罠に引っかかるのを待つべき本の優先順位1位の作品といえば、『ブランクスペース』。人の目に見えないものをイメージして作り出すことができる女子高生と快活でドジな女子高生の友情を絡めつつ、『エレファント』的な、というか、いじめのテーマが浮上し、不穏な空気になる、というのが2巻までの大まかなところなのだが、まずは、スティーブン・キングの「街もの」的な舞台の上で、透明人間と人造人間をかけ合わせつつといった道具立てには、「なんと、正統派!」と驚かされる。しかし、恐るべきことに、2巻の半ば過ぎから、物語がそこから逸脱しつつあって「どうなんの?これ…」と動悸がしてきた。全くのところ、どうなってしまうのだろう。そうしたところも含めて、娘に勧めたいというか、娘の目につくようにソファにおきたい。もっとも、今は、そうもできない。ジリジリしている。