逢うも逢わぬも

    眠気のなかで

2022.08.09 向こう側からの風景


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 フジロックが終わって、10日ほど経ってしまったけれど、苗場には行けなくて、代わりに、友人が来ていたので、金曜日と土曜日の午前中は京都に行っていた。京都から戻ってきて、配信を見ながら、ふと思い出していたのは、最初に行った時のことで、その時は、ほとんど雨が降っていて、雷が鳴り出して土砂降りになることもあった。

 あの天候は、ある意味、フジロックからすると、通常運転だったということになるのだけれど、しかし、初めていく者としては、しかも、よく分からないので貧弱な雨具しか持っていなかった者としては、「なんて、ひどい天気だ」と嘆いたものだけれど、しかし、結局、帰ってきたら、音楽だけでなく、あのひどい天気にも心奪われてしまい、その後連続して何年も行くことになるのだから、人はよく分からない。

 それでも、あの年は、土砂降りの合間に急に晴れることもあって、そんな時の綺麗な夕空のことを鮮やかに思い出す。あの頃はまだグリーンステージからホワイトステージに抜けるボードウォークが一方通行になっていない時期で、だから、つかの間の晴れの夕暮れ時にグリーンステージからボードウォークを通り抜けて、ホワイトステージに歩いていくと、渓流に薄く靄がかかるのが見え、薄暗がりになった森を抜け、その先の先に歩いていくと、木々の合間からホワイトステージの強烈な光が次第に漏れてきて、最後にそれが溢れ出した。

 その時やっていたのは、忌野清志郎で、「ベイベー」と叫んでいた。私は、もちろん、RCサクセションを聴いていたし(特に、最後のアルバム『Baby a Go Go』がすごく好きで、今もたまに聞くし、「空がまた暗くなる」の「大人だろ、勇気を出せよ」というはじまりのフレーズは、勇気が足りないことが多いのか、ふとした時、よく頭の中で鳴り響く)、忌野清志郎だって、しっかり見てもいいと思っていたけれど、しかし、その時は、何かほかに見たいものに気を取られていて、忌野清志郎だったら、いつでも見れるしな…と考えて、半曲くらいだけ見て、違うステージに行った。

 でも、ご存知のとおり、その後、忌野清志郎は死んでしまって、だから、私が目の前の彼を見たのは、あれが最後になってしまった。当たり前のことであるけれど、いつでも見れるなどということはなく、私は、今でもそのことを思い出す。そして、少し泣きそうになる。

 これを書きながら、もうひとつ思い出したのは、忌野清志郎が死んだ時のフジロックのことで、あの時は、土砂降りの中、クラムボンを見ていた。あの時は、激しい雨で身体が少しずつ冷えていってもおかしくないはずだったのに、どんどんと熱いものが内側の何処から湧き出していくかのような、不思議な感覚があった。そうして、あの感覚とともに思い出すのは、忌野清志郎を追悼した後の「バイタルサイン」の演奏だ。ベースのミトの演奏にはびっくりした。全くのところ、あれは何だったのだろう。

 こうしたことを考えていて、今、どうしても書いておかなければならないと思ったのは、ブンブンサテライツの川島が病に侵されながら行った最後の演奏のことで、私は、あの時の演奏も見ている。巨大な音が夕暮れのホワイトステージの彼方へと広がるかのように鳴らされていた。私が最初にブンブンサテライツを見たのは、小さなライブハウスで音はそこまで大きいものでなかったけれど、その頃から、こういう巨大な振動を作り出したいと考えていたのだろうか。ともかく、ブンブンサテライツといえば、巨大な音の壁という印象があって、あの日の音圧もまたそうしたものであった。

 しかし、それだけでなく、不思議と甘いものが漂っていて、あの音の壁にドアが設えられ開け放たれているかのように感じたのは、私の感傷による錯覚だっただろうか。これが最後になるかもしれないという、そうしたひどく切なくエモーショナルな状況において、演奏する者とそこに立ち会う者たちの間に、特別なことが起こっていたと願っても許されるのではないだろうか。いや、いずれにせよ、あの日の最後、夕暮れの光に照らされながら、川島がにこやかに微笑みながら中野と共に両手を上げて、あたまを下げた姿のことを私は記憶している。あの時、川島からは、何が見えていたのだろう。

 気づくと、私は、川島が亡くなった年齢を超えていて、だから、いつでも、私が向こう側に行ったとしても、それは不思議ではないし、実にフェアーなことだろう。

 このところ、若い男の子たちと一緒にはしゃいだ生活をすることもある。テキーラを飲んで浮かれてダーツをして、テキーラで冴え切った頭でそれだけではつまらないと感じ、10回転した上でダーツができるのかと思いつき、それを試すべく急に10回転を始めて「何してんの…」と若い人に呆れられる。

 いい歳をして、自分でも何をしているのだろうと思わなくもないのだが、それはそれとして、そうは言っても、この男の子たちが私の年齢になる頃には、私はもういないのだろうな、とふと思う。そうして、正直をいえば、この子たちがこれからいろいろと経験を積んで、立派なことをしているのを見届けたいと思うところもありつつ、そうは言っても、そういうものではないだろうし、私が死んだ後も、こうして一緒に遊んでいる男の子たちが今と同じようにこうして馬鹿なことをして楽しく過ごしているのだろうと考え、それで救われたような気分になる。向こう側からみると、そういうことになるのかもしれない。